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2007年9月 1日 (土)

総合内科について1

日本でも米国でも専門医華盛りには変わりはありませんが、どちらかと手技ベースになってくる(内科でも傾向が強い)専門医が多くなってくるとcounter cultureとして手技ベースより患者管理・総合的アプローチ・知識獲得とその吟味などを大事にするべきだという流れが必然的に出てくるのだと思います。仮に総合的な診療をする医師が大半で専門医が足りないのならばやはり専門医がモット増えないといけないという流れが出てきそうな気がします。

良い面もあり難しい面もある日本の歴史的な講座制よりもよりリベラルな生き方を模索する医師が総合的な診療をする方向に流れていく傾向があったのはやはりcounter cultureという性質があったことと関係があったのだと思います。

1970-1980頃、米国では家庭医・総合内科医・一般小児科医・(救急医)が盛んになってきました。日本でも厚生労働省が国費留学で総合診療医を育成を目指したり、文部省が総合診療部の作成に予算をつけたりという流れがありました。

今そのような総合診療黎明期から20年以上が経とうとしているのではないでしょうか。この流れに大きな追い風となったのが新臨床研修ではないかと考えています。初期研修中に頻度の少ない病気を少数みるだけでなく、やはりよくある病気をたくさんみて罹患率を実感しその中で鑑別診断の感覚を磨いていくこと、良くある病気に対する最低限の対処方法を身に着けることなどがコンセンプトなのだと思います。これは正に総合的な診療をする医師に重なります。このコンセプトについて非常に最もであると感じるので私は初期臨床研修の義務化に概ね賛成です。その開始と地域医療の崩壊は関連があると思いますが、そこに地域医療の崩壊の全ての原因を求めることは困難であると思います。地域医療の崩壊はもっと多因子的なものだと思っています。

臨床研修が始まったときにある意味バブルのように研修医という学習者・労働者を求めて多くの病院が手を上げたが、やはりそこで手技ベースでない教育を行える指導医が少なかったということは始まってきて大分実感されている感があります。(かくいう私も上記を正に実感しました。)

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