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2011年3月24日 (木)

「帰国そして現地へ」 レポート2

成田空港には重苦しい雰囲気が流れていた。計画停電により電車は止まっており、売店にの食料は乾物などの限られたものだった。人々の症状は暗く、直接の被災の影響はそれほどでなくとも国全体に与えたダメージの大きさが推し量られた。

空港で早速TMATのリーダー橋爪先生を始めとするみなさまにお迎えいただき支援物資と共に仙台徳州会病院を一路救急車両にて目指した。高速道路は一般車両には閉鎖されており、各地から消防隊、自衛隊、支援物資を運ぶトラックが続々と被災地に向かっていた。被災地に近づくにつれ道路の状況は悪くなり地震の爪痕を感じさせた。

榛原総合病院のスタッフの方々徳洲会新聞の河合さんと同乗させていただき、災害のベテランから現地の状況・被災地での心得や原子力発電所の現況を教えていただきつつベース病院を目指した。

ベース病院である仙台徳州会病院に深夜1時に到着し、現地リーダーの田川医師から分かりやすく簡潔にご説明いただいた。経験豊富なリーダーとであうことができこのチームできっと何かができるという確信をえた。

仙台徳州会病院は電気はあるものの水道は遮断されていた。携帯電話は通じており家族と連絡をとることが可能であった。直食をいただいているときに病院の看護師とおはなしができた。病院のスタッフも被災者で4のタイプがあるということであった。

-家がなくなった

-ガソリンがなくなった

ー家族の安否確認の必要

ー衣食住すべて大丈夫

 

翌日早朝仙台徳州会病院を出発し活動拠点となる気仙沼市を目指して出発した。田川医師ら先遣隊は朝3時に出発して気仙沼市入りし活動拠点を現地自治体と交渉していた。我々のチームは補給物資を届けるべく本吉病院ヘ向かった。本吉病院はやや低地にあり、 海岸から M 離れているものの逆流する川からのみずで一階部分は水没したためCTや胸部X線、検査室、事務室等は壊滅的な被害をうけていた。ガスボンベは二階にあがっていた。TMATERとしての機能を提供し、本吉病院の正職員は入院患者のケアを担当し有機的な連係がとられていた。

補給物資をおいた後に田川医師から指示があり気仙沼市の南部の階上にて診療所を解説する方針がチームに伝えられ緊急車両4台にて一路は拠点となる橋上中学校ヘ向かった。  到着後直ぐに中学校の保健室に仮設クリニックを設営すると早速診療と巡回がはじまった。TMATの田川医師・野田医師そして野口管理栄養士(Logistics統括)がすばやく現状をチームに説明し、我々のミッション、被災地での援助隊の原則が伝えられた。

医療スタッフが避難所にはいったというニュースはすぐに周知され多くの患者診療がおこなれた。津波の影響による被害多い今回の地震では、地震による外傷はそれほど多くなく感冒、不眠、便秘、腹痛などの急性期の内科系主訴が多かった。中には津波に飲み込まれた後に流されてきたタイヤにつかまり漂流していたところ陸側の壁にたどり着きそこからたちあがり九死に一生を得たという女性もいた。

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