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2011年3月28日 (月)

「避難所の仮設クリニックでの診療」 レポート4

1200人の避難所に医療チームが到着し、巡回を始めたという事実に対する人々の反応はとてもポジティブなものであった。同行した徳洲会新聞のカメラマンの河合さんも写真をとりながら避難所の方々の表情が見違えて変わることに気がついたとのことである。

我々が実際に提供できた診療は、限られた薬剤・医療資源による最低限のものであったがギリギリの精神的、肉体的状態にあった 避難所の方々にとってとても大きな精神的な安堵感をもたらしたとのことを診察の合間に伺った。また、救護スタッフや避難所本部の方々にとってもほぼ不眠不休で対応してきた中、医療スタッフがはいることで、精神的なゆとりがうまれたとのことである。もちろん、72時間以内に介入して避けうる外傷による死亡を防ぐことの重要性に代わりはない。しかし、災害における医療活動はそこにとどまらず被災地が元の機能に復帰するまで続くということを改めて感じた。

診療の内容は、診療開始当初は感冒、便秘、頭痛、不眠、裂傷や打撲、が主なものであった。1日あたり大体100名程度が受診された。みなさん、ご家族やご住居など色々な痛手をうけていらっしゃるにもかかわらず気丈にされていた。安易なことばはかけられず、お大事にと笑顔で薬をお渡しすることが精一杯であった。

TMAT20年弱の経験があるため、災害時の薬品セット等はあらかじめととのっていた感冒薬などは必要性が予測されており多量のストックがあった。診療が軌道にのりはじめると縫合セットや喘息の吸入薬、そして各種内服薬などが必要となり毎日本部に向けて要請をしていた。前述したが、災害現場において独自の物資補給能力があることは極めて重要であり、TMATの効果的なシステムに改めて強い印象をうけた。

診療が数日目になると、傷のフォローであったり、喘息のフォローであったりフォローする患者が増えてきた。慢性疾患の患者の薬をどのように開業医の先生方や市立病院と連携していくかも課題であった。また医師も2-3日単位で徐々に入れ替わっていくため診療がスムーズにいくように、医師サイド、看護サイド、Logisticsサイドでの引き継ぎのためのマニュアル化が始まった。この過程で災害後に地域のためにで奮闘されていてる開業医の先生方、非常にこんなんな状況の中日々力強い機能回復をみせる気仙沼市立病院、などの日々刻々と変わる情報をアップデートすることになった。

毎朝8時に気仙沼市民病院にて東京医師会主導のもと各支援団体が参集し、支援すべき場所と支援チームの決定、気仙沼地域の補給状況、市民病院の復旧状況を共有することが毎日行われていた。対策本部、救護、補給、医療班など複数の分野の団体があつまり各部門の報告と一日の方針や中期的な方針の検討を行っていた。

診療所開設後4日目には朝一番に顔色のわるい男性が胸痛で来院、災害のため心電図もない仮設診療所のため静脈確保し前述の市民病院のミーティング参加予定の長谷川先生に搬送をお願いした。市民病院での心電図では急性心筋梗塞との診断でその後、堅調に機能回復されていた市民病院では循環器科の先生のもと迅速に緊急冠動脈形成術が施行された。

1000人を超える方々のいた避難所のため発熱や嘔吐にたいしてどのように対応するかも対策が必要となりTMAT本部・避難所対策本部・救護担当のみなさまと協議してインフルエンザ疑いの場合の対応、井戸水を使った手洗いによるノロウイルス予防などを検討した。亜急性期の感染対策については、承知していたつもりであったが、いざ各部門と検討して方針を決めるとなるとその重みを改めて実感した。

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